生きる意味を求める意味

 この頃、「生きる意味」がわからなくて先生に聞いてみたことがあった。すると思わぬ返事がきた。「種の繁栄」。確かにそうだ。生物学的には種の繁栄こそが我々の生きる意味なのだ。

 

 しかし、生物学的に「生きる意味」が「種の繁栄」ならば、人生を全うしている人々の思惟思想は種の繁栄に関係しないから意味がないものであるということになる。つまり、「生きる意味を考えること」自体が無意味なのだ。

 

 また、生きる意味を生物学以外の、心理学、社会学、宗教の面から考えることもできるが、それらはすべて人間が作り出した言説に過ぎない。こうして生きる意味を探していること自体が、どんどん生きる意味の本質から遠ざけているのではないだろうか。

 

 現に、生きる意味の本質を私は見失っていまった。昔の人々も、こういったことをつきつめて出ない答えを出そうとした結果、ある種の恐怖に陥って宗教というものを発明したのだろうか。

 

 意味のない(意味の見いだせない)生活はこれからも続きそうだ。